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かんとこうブログ

2026.05.13

競技者「若山哲夫選手」

新潟県の北越高校軟式テニス部の部員が乗ったバスの死傷事故は、一人の高校生の命が失われ大勢の負傷者を出したただけでなく、車両や運転手の手配をめぐり意見が対立したりと人の耳目を集める大きなニュースとして連日報道されています。

過失運転致死傷罪で逮捕された若山哲夫容疑者について、面識はないもののその人物の存在を私は知っていました。私は新潟県出身で中学、高校と陸上競技をやっていましたので、今でも陸上競技を趣味と公言して憚らない人間であり、若山哲夫という名前に聞き覚えがありました。その理由は広く報道されているように新潟県の有名私立高校の陸上部顧問を歴任し、指導者として日本陸連から表彰をうけた、いわばレジェンド的な人物だったからです。熱心な指導による功績としては、高校駅伝の全国大会に二つの高校を初出場させたことが代表的な事例として挙げられています。

今でこそ、高校の運動部に専任コーチがつくことは当たり前ですが、私が高校生の頃は、あくまで学校の先生のどなたかが顧問となって指導するという形で、ほとんどの場合体育の先生がご自身の専門種目の部活指導をするというのが一般的だったと思います。体育の先生についてもらえない部活は、生徒自らで練習プランをたて実行するという具合で私の場合は後者でした。

そこでふと現役時代の若山哲夫選手の専門種目は何だったのだろうと思い調べてみることにしました。ニュースで見た体形からとても長距離選手であったとは思えなかったからです。

新潟県陸上競技協会には、1985年以降の全県、高校、中学の年度別20傑(年によっては10傑または30傑)が掲載されていますので、ここから「若山哲夫」選手の戦績を調べてみました。若山哲夫選手は早稲田大学を1981年に卒業していますので、そこからの4年間はわかりませんが、1985年から1991年まで砲丸投げと円盤投げの2種目で新潟県20傑に記載されていました。掲載されている全年度の記録を示します。

20傑に掲載されていた7年間のうち、砲丸投げでトップランカーになっています。円盤投げでも2度セカンドランカー―になっています。想像するに大学および大学卒業後も教員として部活指導の傍らで自分のための練習も行っていたのであろうと想像されます。砲丸投げの生涯ベストと思われる記録は年齢が30歳の時のものであり、地道な研鑽を続けた賜物と想像されます。

砲丸投げ、円盤投げともおそらく当時の日本100傑にはいるかどうかというレベルですので、全国大会で活躍することはなかったと思われますが、こうした長い期間指導のかたわら自分も競技を続けてきたのは大変な努力であったと想像します。

もちろんだからと言って今回の事故の罪が軽くなるわけではなりません。が、こうした若山哲夫選手の一面を知ると、ますます今回の事故が本当に残念でたまらない気持ちになります。

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