かんとこうブログ
2020.10.19
日本人にとって特別な色・・・赤の物語 その4
時代が進むと、より安全でより耐久性のある赤色の実現を目指して、人工的に色材を製造する試みが続けられ、19世紀以降さまざまな染料や顔料が合成されるようになりました。それを可能にしたのは有機化学の発展です。
有機化学とは、有機物(主に炭素でできた骨格からなる化合物)の構造を作ったり変えたりすることで有用な物質を作り出す学問ですが、長い間人類には無機物から有機物を作り出すことはできないと信じられていました。その壁を崩したのが、1828年の尿素の合成でした。これを契機に有機化学は飛躍的な発展をとげ、それまでの鉱物などの無機物に代わり顔料を有機物で作ることできる時代となりました。
染料は主に繊維の染色などに用いられ、顔料は主に画材や塗料に用いられます。また溶けている状態で使われるのが染料で、溶けていない状態で使われるのが顔料とおおまかに区分されます。同じ着色する材料でもあっても使われるときの状態が違うということになります。
開発は最初染料が先行します。先ほどご紹介したアリザリンは、BASFがコールタールからの合成方法を開発し1871年から市販が開始されました。これが歴史上最初の天然物染料の化学合成による商業的生産の例です。このアリザリンについては、マラリアの特効薬キニーネの研究をしていたイギリスの化学者ウイリアム・パーキンもほぼ同時期に合成法を見出したのですが、わずか一日の差で特許権をBASFに取得され権利を失ったということが伝えられています。
このほかアニリンを出発点とする一連の「アニリン染料」が開発されていきます。先ほどのウイリアム・パーキンは、アリザリンの合成に先立ち最初の合成染料といわれるモーブの合成に成功しています。ところで、プリンターの赤のインクはマゼンタと呼ばれていますが、このマゼンタは染料の名前に由来しており、アニリン染料の一つであるマゼンタ染料(日本名フクシン)もこの頃に開発されました。(有機化学美術館 分館 ttp://blog.livedoor.jp/route408/archives/52249625.html The Faded Rainbow: The Rise and Fall of the Western Dye Industry 1856-2000)
アリザリンやマゼンタは天然染料の化学合成でしたが、天然物にはない染料の合成も進められました。その代表がアゾ染料です。天然染料の化学合成とほぼ同じ時代に開発がすすめられ、今でも合成染料の半分以上はアゾ染料といわれるくらいに多くの種類と量が使用されています。
開発では染料に先行された顔料ですが、1885年に最初の有機顔料として、アゾ顔料のパラレッドが合成されたあと、続々とアゾ顔料が合成されていきました。
参考までに、有名な絵の具メーカーのホルベインの水彩絵の具のカタログの写真を引用します。このページは赤から黄色にかけての色が並んでいますが、赤枠で囲った高級顔料のほかにも、これまで説明してきたカーマイン(カーミン)、マダー、バーミリオン、アリザリンなどの名前が見られます。絵の具の世界では歴史的に活躍してきた顔料がまだ現役で使用されているようです。
こうした有機顔料に関しては種類も多く、使っていく上で注意しなければならないこともいろいろとあります。また技術的にとても興味深いところもたくさんあります。今回は難しい技術的な話はできるだけ避けて書いてきましたので、別な機会に技術的な側面にスポットをあてて(赤色の)有機顔料について書いてみたいと思っています。
有機顔料に関しては以下の文献を引用および参考にしています。
「溶性、不溶性アゾ顔料」 中村和也 色材協会誌 83 [10]、 424-429(2010)https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai/83/10/83_10_424/_pdf/-char/ja
今回の赤色シリーズにつきましては、元関西ペイント株式会社の中畑顕雅氏に資料の提供とアドバイス・ご指導をいただきました。ここに深く謝意を表します。