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かんとこうブログ

2024.01.31

短期集中連載 インドネシアという国 おまけ

今日の内容は、インドネシアに暮らす日本人の生活に関わる事項です。あくまでおまけという位置づけですので、気楽に読んでいただければと思います。順不動にご紹介します。

1.日本人は運転禁止一人歩きも禁止、その訳は?

最初にインドネシアに行ったときに、現地の日本人から「インドネシアでは自分で運転してはいけない」と言われました。その理由は事故が起きた時の対応だと言うのです。インドネシアで交通事故が起きると黒山の人だかりとなり、当事者双方がインドネシア人と外国人ということになると、知らないうちに外国人が悪いということになって、収拾がつかない状態になってしまうということでした。ただ、そんなことを言われなくても、インドネシアで運転しようという気にはなりませんでした。日本のように阿吽の呼吸で譲り合うなど期待できず、お互いの鼻先を突っ込んで引いた方が負けというような運転状況でした。こうした「寸止め」の運転に加え、渋滞も頻繁にありました。運転手との朝の会話も、天気よりも「今日は渋滞があるか?」が先でした。

一人歩きもしてはいけないと今度は会社の人事担当から言われました。当時は時々、集団スリに襲われた日本人の話を聞きました。手口は単純で、ジャカルタの目抜き通りであるスジルマン大通りには横断歩道が少なく、代わりに大通りを横断するための歩道橋が設置されています。日本人と思しき人が歩道橋を昇っていくと、反対方向と後ろから挟み撃ちをされ金品を強奪されるというものでした。昼間でも襲われることがあると言われて警戒していましたが、そのうち慣れてくるとさほど危険とも思わなかったので、結構一人で外を歩いてみましたが、身の危険を感じたことはありませんでした。と言っても場所によるので、軽々しく大丈夫と思わない方がよいと思います。なにせ被害にあっても怪我がなければ、警察が犯人を逮捕してくれることはまず期待できないそうなので。

2.「命の次に大切なもの」と教えられたものは?
   赴任そうそう、現地の日本人から教えられたのは「携帯電話をなくさないように。命の次に大事なのだから」ということでした。携帯電話をなくすと何が問題かというと、運転手と連絡がとれない➡帰れない➡路頭に迷うということです。タクシーがあるだろう、バスもあるのでは?と思われるかもしれませんが、場所によってはタクシーが捕まえられないところもありますし、バスは乗ったことがないので乗り方がわかりません。会食や宴会では運転手は、離れた場所で待機していますがどこにいるのかは把握できていません。つまり電話だけが唯一の連絡手段であり、車がないと面倒なことになります。幸い財布はなくしましたが、電話はなくすことなく駐在を終えました。
3.特約店との懇親会の料理は?

特約店は大事な取引先ですので、何回か定期的に会食の機会がありました。私のいた会社がもともと中国系であったこともありますが、特約店のオーナーも中国系が多く、特約店との会食は必ず中華料理でした。ただしインドネシアですので、豚は出ません。おまけにアルコールも出ません。豚肉をつかわずウーロン茶で食べる中華料理は正直言ってもうひとつでした。

4.アルコールは売っているか?

イスラム教徒が8割を占める国ですので、中東のように一般にアルコールは飲めないのかというとそこはインドネシア、フレキシブルでした。ビールやワインはスーパーマーケットに売っています。ウイスキーやブランディとなるとさすがにあからさまには販売されておらず、店の奥のカーテンの閉じた棚の中からしずしずと出してくれました。ただ、自由になんでも手に入るというわけではなく、やはりアルコールは貴重品です。

5.日本からのお土産の定番中の定番は?

アルコールは貴重ということなので、出張者が現地に住む日本人へ渡すお土産は必然的にアルコールが多くなります。定番中の定番は、黒霧島の1.8リットル紙パックでした。日本人が集まる飲み会では、かならずこの黒霧島の紙パックがありました。インドネシアへの持ち込みは数量制限がありますが、それを無視してスーツケースに入れた多くの紙パックが空港のエックス線検査で見つかり没収されるというケースも多かったようです。インドネシアを甘くみてはいけません。当時言われていたのは、空港の荷物引取のターンテーブルにたむろしているポーターを使うとX線検査を回避できるということでした。もちろんそれなりのお金を渡さなければなりませんが、取り上げられるよりはマシということです。

6.豚肉は売っているか?

豚肉は日本食料品店で買っていました。当時ジャカルタには、シンガポールのように日本のデパートが進出していませんでしたので、日本食料品店が大繁盛でした。豚肉はバリ島から送られてきていました。バリ島だけはインドネシアでありながら「バリ・ヒンドウー」という独自の宗教があり、豚肉を食します。なので見た目にも新鮮な豚肉がジャカルタでも売られていました。牛肉に関してはオーストラリアの和牛が売られていました。1970年代に日本から精子が盗みだされてオーストラリアに渡ったとかで、遺伝子的にも立証された正真正銘の和牛がオーストラリアから送られてきていました。

7.下痢した時は点滴3本 藪の下の「タケノコ」

医者に関しては、日本語で受診できる「タケノコ診療所」のお世話になりました。おなかの調子を崩すことが何回かあり、行くといつも点滴(500ml)を3本打ってもらいました。何回目かの時に中身を確かめると、この点滴最初の1本と最後の1本は中身が同じで生理食塩水でした。ひどい下痢になるとぐったりするのは脱水症状になるためであり、最初の一本で水分が体内に入るとそれだけで力が湧いてきます。はじめのうちはおとなしく3本打ってもらっていましたが、なにせ時間がかかって退屈なので、駐在期間の最後の方は生理食塩水だけ点滴してもらって帰りました。ところでこの「タケノコ診療所」の名前は、タケノコは藪の下に生える=藪の下=藪医者よりも下、と自らを謙遜しているという噂がありました。真偽のほどはわかりません。

8.インドネシア人の口に戸は立てられない            インドネシアの会社にいて驚いたことの一つは、給料の金額をお互いに教えあうということです。日本であれば、「私は〇〇円だけど、あなたはいくら?」とか聞いたりしませんが、インドネシアではこうした会話が行われます。その結果給料の額は公知化してしまい、従業員の不平不満の原因になります。私が行った当時は系統だった給与体系がなく、その場その場で決められていましたので、不満を持つものが多く、給与体系を作るべく新しい人事部長を雇いました。まさに英語のジョーク、Top Secret, but everybody knowsでした。

9.ジャカルタの渋滞が緩和されない理由             ジャカルタの交通渋滞は有名です。渋滞の理由のひとつが、日本のように鉄道や地下鉄が発達しておらず、通勤の多くがバスや自家用車に依存していることが挙げられます。もう一つの理由は、これは私がひそかに思っていることですが、車での通勤はステータスシンボルであるということです。いわゆるカンパニー・カーの存在です。インドネシアでは個人で車を買える人は多くありません。一方で、多くの会社でマネージャーに昇進すると会社の車を貸与し、通勤に使用することを認めています。車で通勤することは、いわば車で通える身分であることを誇示できることなのです。なので、たとえ渋滞しようとも車で通勤する人が減らず、渋滞は緩和されないのではないかと思います。

10.誕生日の昼食は本人が自腹でふるまう            インドネシアに限らず、外国では誕生日の人がお金を出して誕生日を祝う習慣があります。私の場合、赴任二か月目に誕生日がきました。秘書から「あなたの誕生日の料理は何にする?」と聞かれ、てっきりどこかでお祝いをしてくれるのだと思ったら、そうではなく本社の社員に何をふるまうかという話でした。一般的にはサフランで色付けしたごはん(ナシ・クニン=黄色いごはん)の周りに肉や野菜をもりつけたものとデザートのセットがふるまわれるとのことでしたので、それを70人前頼むことにしました。結構お金がかかるなと思っていたら、なんと日本円で2万円以下で、ほっと胸を撫でおろしました。ひとりあたり300円にもならないのですからローカルフードは安いのです。

11.従業員やその家族の結婚式、お葬式             さて最後は冠婚葬祭です。社員が多いので本人や家族の結婚や葬儀もたびたびありました。最初のうちは参列していましたが、社員の方も気を遣うのでお祝い/お悔み送って済ませることにしました。お祝い/お悔みと言っても何を送ればよいかわかりませんので、聞きましたらお金でよいとのことでした。ただ相場がわかりませんのでその度に秘書に聞いて金額を決めました。当然ながら当事者が本人かどうか、職位や自分との関係性で金額はかわりますが、日本円で3000円から5000円が最も多かったと記憶しています。封筒にお金と簡単な手紙を書いて渡しました。日本と違いお返しはありませんが、ほとんどの場合、お礼を言いにきてくれました。

さて5回に亘った「インドネシアという国」もこれをもちまして終了です。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

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