かんとこうブログ
2024.11.06
今年のノーベル化学賞について・・イン・シリコの時代へ
今年のノ―ベル化学賞は、米ワシントン大学のデビッド・ベイカー教授(62)、英グーグルディープマインド社のデミス・ハサビスCEO(48=英国籍)とジョン・ジャンパー氏(39=米国籍)の3氏が受賞しました。いずれもコンピューターとAIを駆使した生命科学への貢献が評価されたものですが、ベイカー教授は、これまでにない有用タンパク質を創生したことが、ハサビス氏とジャンパー氏は、タンパク質の複雑な立体構造を高精度で予測するソフトを開発したことが評価されたと報じられました。今日はこの内容をご紹介したいと思います。いろいろなサイトに紹介記事がありましたが、簡潔ながら丁寧な解説があった「Science Portal」のサイト(下記URL上)とそこに紹介されていたノーベル財団の発表資料(下記URL下)から引用させていただきました。
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20241009_n01/
Press release: The Nobel Prize in Chemistry 2024 - NobelPrize.org
ベイカー教授の功績は「サイエンス・ポータル」サイトで以下のように説明されています。
「生命の構成要素ともいえるタンパク質は一般的に20のアミノ酸から構成される。ベイカー氏は1990年代末からアミノ酸配列をもとにタンパク質の構造を予測するコンピューターソフトウェア「ロゼッタ」の開発を始めた。2003年にはアミノ酸を組み合わせ、これまでにない新しいタンパク質を作ることに成功した。その後、医薬品からナノ材料、小型センサーまで多様なタンパク質を生み出した。」
教授は、アミノ酸配列からタンパク質の高次構造を予測するソフトウエアを開発し、それを使って様々な新しいタンパク質を創生してきました。そのタンパク質の用途は下図に示すように多岐にわたります。
因みにこのソフトの名前である「ロゼッタ」とは、ロゼッタストーンに由来するものと思われます。このロゼッタストーンは1799年にエジプトで発見された紀元前の石碑で、古代エジプトの神聖文字、民衆文字およびギリシャ文字の3種類の文字で同じ文言が刻まれていたため、その後歴史的遺産に刻まれた文字の解明が飛躍的に進んだと言われています。(ウイキペディアより)
一方、ハサビス氏とジャンパー氏の功績については以下のように説明されています。
「アミノ酸が連なったタンパク質は、折りたたまれて立体構造を持つことで機能する。1970年代から構造予測の試みが続いていたが困難だった。最強の囲碁ソフト「アルファ碁」を作り出したハサビス氏のAIモデルにジャンパー氏のアイデアを取り入れ、ディープマインド社が新モデル「アルファフォールド2」を2020年に発表。2億個のタンパク質の立体構造を高精度で予測した。」
驚きは、このたんぱく質の高次構造を予測するソフト「アルファフォールド2」の元になっているのが、最強の囲碁ソフト「アルファ碁」であり、今回受賞したハサビス氏はその開発者であったということです。一体どんなやり方で巨大分子であるタンパク質の複雑に折れ曲がった構造を予測するのでしょうか?ノーベル財団の資料にその手順が書かれていましたので、ご紹介します。
要約すると、アミノ酸配列をインプットし、類似のたんぱく質を一切合切集めて並べます。そしてこれら類似タンパク質について、進化の過程でも保持される部位を特定します。そしてアミノ酸どうしが相互作用をしそうな組合せを探します。そしてそこからタンパク質の中で、アミノ酸の配列とアミノ酸どうしの距離を予測しマップを作ります。この配列と距離マップを検証し、最適化していきます。これを繰り返して実際の構造を生成し、検証し回答として提示されるようです。
ざっと見たところ、しごくオーソドックスなプロセスだなと感じました。これで果たして複雑な高次構造をピタリと予測できるのだろうかと思っていたところ、ノーベル財団の資料には、当初の試みはやがてDead endに行きついたと書いてありました。
どうにも進まなくなったこのプロジェクトを再び前進させたのがジャンパー氏であり、彼はこのプロジェクトが人材を募集していることを聞きつけて応募してきたのでした。彼は博士論文にまとめた自分の研究経験から、打開のための大きなヒントをもたらし、プロジェクトを前進させる大きな貢献をしました。残念ながら、どのようなヒントだったのかは書かれていませんが、彼なくしてアルファフォールド2の成功はなかったことは間違いありません。
以上が今回の受賞者の功績についての説明ですが、生物学者の福岡伸一氏は、10月24日付の朝日新聞にこのノーベル賞受賞者の功績を解説し、受賞の意義を以下のように説明しています。
「生物額の研究は、古くはネズミなどの実験動物を使って現 象を解明する「イン・ヴイボ」(生体内で)、次に生物の一部を取り出して生命現象を再現する「イン・ヴィトロ」(試験管内で)になりました。今回の受賞は、生物学をコンピューターで研究する「イン・シリコ」(コンピューター内で)の時代がきたことを象徴しているように感じます。」
これまで莫大な費用と時間を費やして解明してきたタンパク質の構造が、イン・シリコの技術により簡単に解明されることで、生命科学の分野で長足の進歩が期待できるかもしれません。しかし、イン・シリコの恩恵を甘受できるのは生命科学に限定する必要はありません。塗料の世界でも、イン・シリコ的な研究は充分に可能なのではないでしょうか?
例えば膨大な屋外暴露試験のデータを使って、新しい塗料の組成情報を入力するだけで屋外暴露試験のデータを高い精度で予測することなど、すぐにでもできそうな気がします。またベイカー教授のように、耐久性の高い樹脂や顔料の構造を予測させ、新しい塗料材料の創生ができるかもしれません。今のところ老人の妄想ですが、遠くない将来にそうした時代が来ることを期待したいと思います。