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かんとこうブログ

2023.07.05

松本十九氏と「この道ひとすじ」・・松本賞のルーツ

昨日、組合員である日本化工塗料株式会社から、同社のコラム(下記URL)に令和4年度松本賞(業務改善提案)に同社からの応募5点が入選したことを紹介しましたと連絡がありました。入選した同社の応募提案は大変レベルが高く、表彰に値すると高く評価されたものであり、改めて敬意と謝意を表します。

https://www.nippon-kako.co.jp/column/C-2.html

松本賞については、すでにさまざまなところで紹介されているので、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、簡単に説明すれば以下のような経緯で生まれたものです。

関東塗料工業組合の初代理事長である松本十九(とく)氏は、関塗工に対する愛惜の念から、組合の発展を願い多額の寄付を行いました。このお金を有効に使うために組合の発展に功労のあった方々および組合員企業における業務改善に功績のあった従業員などを表彰するために松本賞基金財団(任意団体)を設けて、資金の管理と表彰を行うことになりました。

とここまではかなり知られていますが、肝心の松本十九氏ご自身の生涯と関塗工設立の経緯、さらには冒頭述べた日本化工塗料株式会社との関係については、あまり知られていないものと思われます。今日は関塗工初代理事長松本十九氏の生涯と関塗工設立の経緯をあますところなく描いた「この道ひとすじ」(A4版)という書籍について以下にご紹介したいと思います。

いま「書籍」と書きましたが、この本は書店で販売されているわけではありません。平成12年に関塗工が、組合員を中心に配付することを目的に作成した限定本です。松本十九氏が昭和43年6月から昭和45年9月まで塗料報知新聞に連載した自伝をワープロで原稿化して製本したものです。

「この道ひとすじ」は松本氏の自伝であり、生い立ちから中学校、高校、大学時代、社会人として働いた日本化学工業、奥田塗料、日本化工ペンキ(現在の日本化工塗料株式会社)、日本塗料工業会、自ら設立した太洋塗料(現在の太洋塗料株式会社)におけるさまざまな出来事が1ページ約1000字、全部で215ページ20万余字によって綴られている長編自伝であり、大正末期から昭和41年ころまでの塗料業界の様子が細かに描かれています。単なる個人の自伝に留まらず、日本の塗料産業史としても価値のあるものになっていると思われます。もう気づかれたと思いますが、日本化工塗料株式会社は、かつて松本氏が長期関勤務され経営者の一人として大活躍をされた会社だったのです。時を経た今、かつて氏が心血を注いだ会社の後輩達が、氏の名前を冠した賞を受けるのも少なからぬ縁を感じます。

松本氏は、こうした自伝だけでなく、塗料辞典や塗料便覧といった本を上梓しています。とにかく筆まめで書くことを厭わなかった方のようです。私自身も若かりしころ、会社の図書室で塗料辞典を見つけ、古い本でありながら多岐にわたる記述に感心するとともに、一体どんな人がこのような本を書いたのかと思い、松本十九という名前を記憶にとどめていました。

しかし何よりも私が感銘を受けたのは、この本の付録として掲載されている「関東塗料工業組合が生まれるまで」という14ページの文章と年表です。こちらも雑誌「塗料と塗装」昭和52年1月号から5月号に連載されたものを、再度打ち直したものと説明されています。そこには、昭和30年代後半の塗料業界において乱売合戦が繰り広げられた結果、中小塗料製造会社の経営状態が悪化し、過当競争を防止できなければ存亡の危機に至るとの危機感から、大同団結にむけての大きなうねりが業界内を駆け巡った様子が生き生きと描かれています。大げさに言えば幕末前夜のような緊迫感に満ちた時々刻々の動静が見事に描かれているのです。

本書の発刊の辞の中で、当時の理事長であった澤田隆行氏は以下のように書かれています。

塗料業界を取り巻く環境もますます厳しさを増していくことでしょう。業界の発展と組合員の利益を守るために組合は今何をなすべきか、真剣に論じられなければなりません。時折は立ち止まって原点に立ち帰り、先輩諸賢が後世に託された熱い願いに思いをいたすべきでありましょう。

この言葉は、今でも当時と変わらぬ切実さをもって私たちに語り掛けているような気がします。

現在この「この道ひとすじ」は組合事務所内に10冊ほど保管されています。お譲りすることはできませんが、読んでみたいと言われる方には御貸ししたいと思います。ご希望の方は事務局までご連絡ください。

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