かんとこうブログ
2026.10.20
仏教の十王を知っていますか?
先の三連休に鎌倉の圓應寺に行ってきました。臨済宗建長寺派の寺とその建長寺の近くにあります。「えんま様の寺」として有名で、閻魔大王を本尊とするお寺です。本堂中央には運慶作と言われる閻魔大王像が鎮座し、まわりに亡者が冥界でであう「十王」が並んでいます。

閻魔様と言えば、むかし「嘘をつくと閻魔様に舌をぬかれる」とか「死後の世界で生前の罪状を吟味し天国へいけるか地獄に落ちるかを決める」と聞いた覚えがあります。しかしながら、今回この寺をお参りして、これら世間の言い伝えは正確ではないこと、仏教の教えに照らし合わせればこうした世間での言い伝えは、不十分極まりないものであることがわかりました。また四十九日の意味合いもあわせて知ることとなり大変意義深い一日となりました。
死後、三途の川をわたり冥界を四十九日間冥土を旅すると言われていますが、この間、さらに百か日、一周期、三周期に至るまで、十王(閻魔大王を含む十神様)に導かれ諭されて旅をするとされています。目から鱗の冥土の旅と十王様との関わりを、圓應寺のデジタル展示サイト(下記URL)とパンフレットからご紹介します。
https://ennoji-digital-gallery-ennoji-guide-omega.vercel.app/
それでは冥土の旅の途中で出会う十王様+1を三人ずつご紹介していきます。最初は、死んでから四日目、七日目、十四日目に遇う方々です。

最初は+1の王様ではない「奪衣婆」(だつえば)です。亡者の衣をはぎ取りその濡れ具合で生前の罪の重さを量るとされています。死後4日目に三途の川を渡る際、罪が重いものほどよく濡れるため、その重さで罪の深さを量ることができます。こうした情報はすべて閻魔大王に知る所となります。
初七日に会うのが「秦広王」(しんこうおう)です。生前の殺生の罪を問い、「倶生神」(ぐしょうじん)の記録をもと三途の川のどこを渡るかを決め閻魔帳に記録します。「倶生神」とは人間が生まれる際に左右の肩に一神ずつ備わり、それぞれ善行と悪行を記録する神様です。「秦広王」はその記録を調べ閻魔帳に記録します。(昔学校の先生が記録しているノートなどを閻魔帳と言っていたのを思い出しました)
その七日後、二・七日に会うのが「初江王」(しょこうおう)です。三途の川を渡った場所を調べ、そこから盗みの罪の重さを量り閻魔帳に記録します。四日目に出会った「奪衣婆」から奪った衣服を受け取りその重さを量るのはここです。
次は、二十一日目、二十八日目、三十五日目に遇う王様で、三十五日目は閻魔大王です。

そのさらに七日後(三・七日)に会うのが「宋帝王」(そうていおう)です。快楽や愛情を求める欲望により犯した罪(邪淫の罪)の軽重を調べて閻魔帳に記録します。
七日が4回繰り返された時にあうのが、「五官王」(ごかんおう)です。この「五官王」は言葉(口に出して言ったこと)と心(思ったこと)の罪を調べます。言葉の罪には妄語・綺語・両舌・悪口の四つが、心の罪には、貪欲・瞋恚・邪見の三つがあります。瞋恚とは怒り・憎しみ・恨みを指します。
そしていよいよ「閻魔大王」の登場です。5週間後の三十五日目に会うのが「閻魔大王」です。これまでの王様達が調べた閻魔帳の記載に加え、地獄玻璃(じごくはり)の鏡、人頭杖(じんとうじょ)などにより、亡者の罪をもう一度取り調べ、六道のいずれに輪廻転生させるかを決めます。子供の頃に聞いた「天国か、地獄か?」はこのことだったようです。六道の説明はこの後の「変成王」(へんせいおう)に譲りますが、大事なことは、閻魔様の真意が悪人を罰することではないということです。大変意外でしたが、「閻魔大王の本当の願いは、すべての人が罪を犯さず、犯した罪は懺悔(ざんげ)することです。」とあります。
圓應寺でもらったパンフレットには耳寄りな情報が書かれていました。下図に示します。なんと罪を犯していても、この懺悔文(下図左端)を心静かに3度唱えると今まで犯して罪はすべて許される(下図右端)というのです。読み仮名(下図左から2番目)、読み下し文(同3番目)もつけておきました。この懺悔文を要約すると「昔犯した罪は、何もわからぬまま、欲望にまかせて行ったものであり、本能の赴くまま行動してしまった。これらすべての悪行を今は大変後悔しています。」という感じになるでしょうか?私は、これまでを振り返り、どう考えても幾多の罪を犯してきたと思われますので、是非ともこの懺悔文を覚えて閻魔様の前で許しを請いたいと思っています。

さて、閻魔様の裁定は終わりましたが、まだ冥土への旅は終わりません。六週目、七週目(四十九日)、百日、一周期、三周期と王様によるアフターケアは続いていきます。

六週目の「変成王」(へんじょうおう)は、閻魔様の六道への輪廻転生の裁定に従い、さらに細かな転生先を決めます。六道とは、天上界:帝釈天の頂上の三十三天、四方に須弥山、人間界:穏やかで豊かな国、争いの絶えない貧しい国など、修羅界:争いの世界、畜生界:ウサギや鷹などの動物の世界、餓鬼界;何も食べられない存在の世界、地獄界:大地獄・大叫喚・大焼炙など多くの地獄あり の六つです。
七周目「泰山王」(たいざんおう)が性別と寿命を決めます。ここまでを「中有」また「中陰」といいますが、これまで「満中陰」の意味がわからずにいましたが、これを読んで四十九日を迎えたことを意味すると知りました。しかし、四十九日から先も王様たちの見守りとお導きは続きます。
百日目には、「平等王」(びょうどうおう)がそれまで積まれた功徳を見た上で、仏教に通じる四つの教えを授けます。それが諸仏通誡偈であり、衆悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教の四つです。

さらに一周期では、「都市王」(としおう)が、争いの元となる「怒り」の連鎖を見つめさせ、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴(ぐち)という三つの煩悩の火を吹き消すことを教えます。
最後に、三周期には、「御道転輪王」(ごどうてんりんおう)が、愚痴を慎むことを諭され、六波羅密の道を示します。六波羅道とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の、六つを指しますが、このうち布施、精進、智慧はすでに日常で使用される言葉になっているのではないでしょうか?
以上十王について圓應寺のデジタル展示室とパンフレットを元にご紹介しました。閻魔様の印象が、子供のころの怖いという気持ちから、優しく諭し導くというイメージに変わったように思います。実際十王様の役割を見ていくと、罪を自覚させ、罪を悔い改め、涅槃への道へと導くといったものが根幹にあるように感じました。
しかしなから、パンフレットの最後には、お釈迦様は「因果応報説」を説いており、「善因楽果、悪因苦果」と言って善い行いは必ず楽しみになり、悪い行いは必ず苦しみとなり、その因果は、過去世、現世、来世の三世に渡るとも書いてあります。やはり基本は「因果応報」のようです。